こころのあしあと

ストレス社会に生きていれば、いろいろな困難に遭遇します。それは大人だけに限らず、子供にとっても大人社会の影響をもろに受けながら成長しなければならない宿命を背負って生まれて来るのです。そんな歪んだ社会に生きながらも果敢に立ち向かい自己実現欲求を糧に、生き抜いていく主人公の生活リアリティを表現します。

2020年02月

理想の弊害に、早く気付けるようになろう。


      自分を大切にすることは、理想を追いかける

                      ことでは決してない。

      むしろ逆の場合が多いのです、なぜなら本当

      に満足しているとき理想を考えるだろうか。

      むしろ残念な時こそ現実と反対の結果を

                      思い描いてしまうものなのです。
      
      しかし問題なのは現実とはちがうイメージを

                      強くもってしまうと理想のほうが優先され、

                      客観的な現実感覚が薄められ

      てしまうことです。

      つらい体験は誰しも嫌なものですが

                      その現実の中にこそヒントがあります。

      感情を取り除いて具体的な事実を

                     よく見ると失敗の理由やこれからの方向が

                     含まれていることに気がつかれるでしょう。

      現実の中にしか答えはありません。

      理想の中に答えはないのです。

      余裕があるときに、落ち着いて現実を

      ゆっくり振り返ってみましょう。

      それも自分を大切にしていく行為のひとつです。


自分をイジメるくらいだから、他人なら簡単にできる。


      自分を大切に何故出来ないのだろうか。

      自分を大切にすることの反対の意味は

      自分虐めだ。

      人を簡単にいじめる時代だ。

      自分をいじめる事だって簡単にできる。

      虐めの状況をよく見ると自分の感情を

      人にぶつけているのがよくわかる。

      昔であれば絶対してはいけない行為だったのです。

      しかし今の人は何故出来るようになってしまったのだろうか、

      今でも個人ではなかなか出来ない

      だからクラス全員でやるのです。

      みんなでやればこわくない先生も手を出せない。

      いじめのないクラスのほうが少ないくらい

      一般的になっているのです。

      マイナスの文化とも言えるほどに根は深い。

      一時の自己満足を得るための

      集団ヒステリーにも似た様相がうかがえる。

      所詮、感情論なのです。

      個人主義化した現代では特に感情にまつわる

      事件が後を絶たない。

      感情支配ともいえる状況があります。

      昭和の集団主義社会では見られなかったことなのです。

      自分を律するものに集団があった、

      しかしいまはなにが自分を律してくれる

      のだろうか。

      もはや自分の内に確実なモラルを

      構築する以外に方法は見つからない。

      つまり個人主義とは一人リーダーで

      生きて行くことにほかならない。

      感情を抑えられない個人はキレルほかないし、

      キレルには関係が切れるの

      意味も含まれているのです。

      感情にはそれぞれ意味があります。

      自分を知るとは自分の感情を知ることでもあり

      存在を受け入れていく作業でもあります。

      自分の思いによらずとも人は存在している。

      それを自覚するのは苦労や経験のゆえでしょう。

      自分を大切に思えれば人も大切に思えるのです。

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